私が自分を取り戻すまで

初めまして!
さきです。



私は、現在心と自分軸の専門家として活動しています。


具体的には、1対1のコンサルや、グループ講座をしています。


兵庫県在住、主人と夫婦二人暮らししています。


主人とは、2021年現在で結婚11年目になります。
今でも手を繋いでお出掛けをしたり、いまだに恋人同士のように仲が良いです!

今は大好きなことをしながら、大好きな人と一緒に人生を楽しんでいます!


そんな私ですが過去は、

  • 自己肯定感が低い
  • 他人の意見に左右されがち
  • 気分も上がったり下がったり
  • 恋愛も仕事もうまくいかない

など、人生うまくいっておらず、幸せになりた~い!!と思っていました。


自分を無条件で愛せるようになり、人生は劇的に変化しました。
今、とても幸せです。


ここでは、そんな私の生い立ちや今までの人生を振り返りながら、私がどんな信念を持って、どんな目標を描いているのかを綴っていきます。

従妹と同じ病室で同じ日に生まれる

母のお兄さんから、母の元に1本の電話が入りました。

「病院に運ばれた。もうすぐ生まれる」と。

 

母も、妊婦でその後病院に運ばれ、なんと従妹のおばちゃんと

同じ病院の病室に運ばれたんだよね!!

 

そして、従妹と同じ11月1日に生まれたんだ!!

ずっと運命かと思ってた!

 

今は疎遠だけどね!!笑

 

被害者意識の母と、すぐキレる父

一軒家のお家を購入して、住み始めたのですが・・・。

お父さんがよく暴れるので、ふすまがすぐにボロボロになってました笑

(障子の方は母が毎日張り替えていたよ、今考えるとよくやるわ笑)

 

お父さんが怒鳴り、母が泣いて・・・の繰り返していたんだよねぇ。

 

強烈過ぎて、2歳くらいの記憶がちらりらあるんだよね。

 

父はお酒を飲むわけではないのですが、

スイッチが入ると誰も止められないくらいに

豹変してよく暴れていました。

 

もうどす黒いオーラ―が本当にやばかった!!!笑

 

椅子やら、その辺のモノやらとにかく投げまくっていたなぁ。

 

その度に母は泣きながら私の手を取って、夜中に家を出ていました。

覚えているのは、本屋で母が立ち読みしていて私は母の顔を見上げていました。

 

時間が経ってから、ほとぼりが冷めて?

家に帰宅するという感じだったんだと思います。

今となってはそう思うよね。

 

鼻炎が止まらなかった幼少期

物心ついたときから、鼻炎がひどく鼻水が止まらない状態でした。

なので、小さい頃から耳鼻科によく通ってました。

 

家を購入したのに、転勤が決まり、家を売り払うことになりました。

福岡県から広島に引っ越しました。

 

引っ越してからも、両親の喧嘩は相変わらずでした。

喧嘩というより、父が一方的にブチ切れるというように幼い頃の私には見えていました。

 

4つ下の妹が生まれてからは、妹と2人で布団の中にもぐって震えてました。

いつも母は泣いて、父は発狂していました笑

 

私たちは寝ているふりをしながら、いつも布団の中に隠れていました。

 

父だけではなく、お父さんの母もお母さんに対して同じような感じでした。

いつも「あんたなんかいなければ」とか怒鳴られていたね。

 

そして、母は泣いて家を飛び出るって感じだったな。

 

おばあちゃんと一緒に暮らしていたわけではなくて、

おばあちゃんの家に行ったときや、おばあちゃんが

家に行ったときに、毎回そんな感じだった!

 

おばあちゃんのことが嫌いだったわけじゃないけど、

母を虐めている、可哀そうとずっと思っていたなぁ。

 

父に対しては、年を増すごとに「早く離婚してほしい」って思ってた笑

母をいじめるなんて許せないって気持ちがどんどん膨れ上がっていってたんだよね。

 

「咲希」という名前に変わった経緯

幼稚園に行っている時に、従妹のおじちゃん(母の兄)が

名前が良くないから、だから私の鼻水が止まらないんだと言って、

家庭裁判所で、名前を変えたんだよね笑

 

私は、名前が変わって、幼稚園のお道具箱に名前を書き直したの

だけ唯一覚えてる。

 

過去の名前はあえて書かないよ。

同じ名前の人見てたら気を悪くするかもだしね。

 

でも、名前変わって今じゃ良かったと思ってる。

とても気に入ってるから。

自分の名前、響きが好きなので。

由来とかも多分ないと思うんだよね笑

(元々気にしてない)

 

なんせ鼻水止める為に名前変わったわけだから。

でも、人に教えるときに「希望が咲くって書く」って伝えてるのが気に入っている。

 

ちなみに、名前を変えても鼻炎は止まりませんでした笑

そりゃそーだ笑

 

ちなみに、病気は全て心からきているよ!

鼻水は心の涙なんだ。

しかもアレルギー性鼻炎は、父親に対する幼い頃の感情。

 

だから、父を許したことで、長年に渡る耳鼻科通いも辞めれました笑

今も完璧に完治したまではいかないけど、当時は毎日何をしていても、鼻水が垂れてくるくらいひどかったの。

 

「お姉ちゃんなんだから」

4歳になり、妹が生まれました。

 

とても小さくて可愛くて、いつも手を握ってました笑

ずっとじーっと見て一緒に寝転がって、幸せいっぱいでした!!

可愛くて仕方なかったのですが、母が「お姉ちゃんなんだから」というフレーズを頻繁に使うようになりました。

 

今なら「母も知らなかっただけ」と全て心の葛藤が消えたのですが、当時の私はそうではなかったです笑

 

喧嘩すると「お姉ちゃんなんだから、先に謝りなさい」

また、「お姉ちゃんなんだから、妹に優しくしなさい」「お姉ちゃんなんだから妹に譲りなさい」みたいな感じでした。

母はすぐに私のことを諦めました笑

妹と喧嘩して、「お姉ちゃんなんだから!!」って怒られた後、泣いている妹は

母に抱っこされて私は、一人ぽつんで、それを陰から見てました笑

 

寂しいという気持ちでいっぱいでしたが、言えませんでした。

 

母は当時とても厳しく、私が何かミスすると、手を叩かれました。

そして、諦め癖が早かったので、幼い頃靴ひもが蝶々結びでうまく結べなくて何度かやって失敗。

すると、母は諦めて代わりにやってくれるようになりました。

 

お箸の持ち方もすぐに取得できなくて、母に諦められました笑

それは妹たちも同じでした。

 

そして、私はすぐに諦める癖がつくようになりました。

(他人のせいにしているわけではなく、幼少期の私からの目線。笑)

みんなは出来るのに、私は出来なかった

ちなみに、もう大人になってから蝶々結びとお箸を正しく持てるようになりました。

大人になってもそれも出来ないなんて恥ずかしくて、なかなか人に出来ないと言えませんでした。

 

そして、周りの人が出来てない私の蝶々結びを見て、直してくれるように笑

いつまでも出来ない私のままずっといました。

 

でも、出来るようになったキッカケがあります。

 

そのきっかけは、4つ下の妹でした。

妹と久しぶりに会うとお箸を綺麗に握っていたんです。

 

「どうやって、なおしたの?」と尋ねると「大人用のきちんと持てるようになる為の箸を使ったよ」と教えてくれました。

今みたいに解放出来る前は、誰かに聞くなんて恥をかきたくなくて出来ませんでしたが、

昔から妹に対してだけは、恥という感情はなかったので笑

さらけ出せる存在でした。

 

ずっと私と同じで出来なかった妹に出来たなら、私も出来るかも!!ってなりました。

 

そこで、ソッコーお箸を買いに行き、毎日使いました。

すると、お箸を正しく持てるようになりました!!

 

なんだ、無理だと思っていたのはわたしで、やれば出来るんだって思いましたね笑

でも、蝶々結びが出来るようになったのは、主人と出逢ってからです。

主人は、私が出来るようになるまで、何度も諦めずに教えてくれました。

すぐ諦める癖

諦め癖があった私は、本当にすぐに諦める子でした笑

そして、「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」が身についていた私は、我慢癖がつくようになり、我慢する子でした。

 

ですが、今は「なんでも、とにかくやってみようよ!!」と周りに話すくらいまで変化しました笑

我慢癖は、かなり深く染みついてましたが、ようやくそれも解放されました。

 

母のことも「お母さんも、そう育てられたから知らなかったんだね」と許せて、心を解放出来た今があります。

 

過去の私は、ずっと父のことが許せないと思っていたのですが実は、母のことも嬉しいエピソードもたくさんあるけど、子供の頃、傷つけられた、許せないって気持ちがたくさんありました。

 

私は過去の自分、両親への思いを解放しました。

 

それは親の為というより、自分の為です。

許せないという気持ちは、自分の心を蝕むだけなので。

 

次回は、小学生編にはいっていきます笑

(大好きなこどものおもちゃみたいだなぁ。小学生編って笑)

デビュー作「ヘンジンの好きな野菜はニンジン」

小学校低学年の時は、とにかくお花が大好きでした。

園芸活動?をやっていて、花壇に行くのが楽しみだったな。

 

先生がたまに、咲いている花壇のお花を摘んでくれて、花束をくれたのがとても嬉しかった!!

低学年の頃の私の夢は、お花屋さんで働くことだった!!

 

これという趣味もなかったと思うんだけど、小学校3年生の時かな。

転校生の女の子と仲良くなったんだよね。

 

家に遊びに行ったときに、何して遊ぼうか?ってなって。

友達の親の仕事でいらなくなった印刷された紙がたくさんあったんだ。

(何もないところから、アイデアって生まれるね!!)

 

「これで、漫画書こうよ!!」って二人で漫画を描き始めた!

その名も「ヘンジンの好きな野菜はニンジン」というタイトル笑

 

友達は、金髪の「ヘンジン」という女の子を描いて。

私は、みえちゃんという二つ結びをしている女の子を描いたんだ。

 

2人で宇宙旅行に行くの。

そして、梅干し星人と物干し星人に出会って、一緒に旅するようになって、

大冒険が始まるというストーリー。

 

毎日毎日描いて、二人で大笑いした!!笑

 

そこから、一人同じマンションで同じクラスの私の幼馴染が加わって。

3人で漫画「りぼん」に夢中になった!!

 

学校が終わると、3人で発売日より1日前に発売される駅前の本屋まで、

自転車を飛ばして、楽しみで仕方なかった!!

 

あの頃の漫画は「ちびまる子ちゃん」「姫ちゃんのリボン」や「赤ずきんチャチャ」や

「天使なんかじゃない」とか「こどものおもちゃ」

「マーマレードボーイ」などなど、最高の漫画でいっぱいでした!

 

私にワクワクとドキドキを教えてくれた!!

 

そこから更に、友達が増えて4人で漫画を描いたり、漫画を読んだり、

アニメを一緒に観たりするように。

 

漫画も合作で書いて、図書館を作ろうって盛り上がったな。

 

本当に4人で楽しかった思い出。

楽しかった4人組もクラスバラバラ

その頃、クラスが7クラスくらいあって、3人と校舎が離れて、「これからどうしよう・・・」という感じだった笑

 

私は元々女子のグループが苦手で。

4人グループだったけど、あっちでこそこそこっちでこそこそみたいな陰険な感じがなかったんだ。

 

だから、クラス替えになって本当に困った。

 

友達が一人同じクラスに出来たんだけど、2人組だったから、その子が休むと1人になってしまうっていう不安がいつもあった笑

 

当時の私は「一人って思われたくない」って思っていて、

思いっきり「他人の目」を気にしていたんだよね。

心が不安定で、肺炎になる

そんな不安があったから、新学期が始まってすぐに肺炎になったんだ。

 

担任の先生がクラスに馴染めてないんじゃないかって、心配でお見舞いに来てくれたな。

 

ちなみに、仲の良い友達以外は私はあまり他人と喋れなくて人見知りもひどかった笑

 

あれもこれも出来ない私に、救世主が現る

新学期すぐに、新しいクラスでドキドキして、肺炎になった私だけど笑
その後、クラスのムードメーカー的な男の子と同じ班になったことを、

キッカケに徐々に学校が楽しくなっていったんだよね笑

私は学生の時「私は勉強も出来ないし、運動神経もない」って思っていたし、
前回書いたけど諦め癖もあったしで「出来ない」って思っていたんだ。

体育の授業で、うまくできないでいると、その男の子が周りを気にせず手助けしてくれた。

これは小学校5年生の時の話しだけど、こういうお年頃って周りにからかわれたりして、

そういうの嫌だったりとかあったよね笑

でも、気にせず何度も助けてくれてヒーローだと思った笑

給食時間に、その子が「すごく美味しそうに食べるね!」って言われて初めて

「え?そうなの?知らなかった」って思った笑

自分で見えないものが、他人には見えたりするね。

誰かと話すのが怖くなる

そんな感じで学校に行くのが毎日楽しくなったんだけど(単純笑)

5年生になって数ヶ月もたたないうちに、転校が決まったんだ。

私は仲良しの例の4人と小学校を卒業したら、

同じ中学に行けるとずっと思っていたからすごいショックだった。

本当に嫌で毎晩布団の中で泣いた笑

その後も、お父さんの仕事の都合で、小学校2回、中学3回変わった。

その度に、周りと子と仲良くなるのに苦労した。

一人だと思われるのも恥ずかしくて、頑張って話しかけたりもしました。

方言を使って喋った時に、「え?」と言われて立ち去られたという出来事があった。

今となっては出来事に意味はなかったのかもしれないと思うけど、当時の私は拒絶されたと思い込んで、誰かと話をするのが怖くなっていきました


どんどん自分を押し殺すようになり、本当に心を許した友達以外は、ほぼほぼ誰とも喋らなくなっていきました。

他人を目の前にすると、喉が詰まってしまって

「本当はみんなとお喋りしたいのに、声が出ない」「本当はみんなと仲良くしたいのに、寂しい」という気持ちでいっぱいでした。

恐怖と孤独でいっぱいで、周りの顔色を伺いながら目立たないようにひっそりと生きていく人生が続きました。

そうやって周りからの反応が怖いから、人と距離を保ちながら、殻の中に閉じこもっていました。

極端に他人の反応を恐れるようになっていきました。

それは、決して親や周りのせいではなくて、「私はこういう人間だから仕方ない」「これが私なんだ」と思い込んだからでした。

「周りの顔色を伺いながら生きていくの?」

中3の夏、両親・妹たちと離れて中3から福岡の祖父と祖母の家で暮らすことになりました。

高校まで転校するのは大変だからです。

中学生になっても、顔色を伺う人生が続いていました。

しかし、強烈に口の悪いおばあちゃんのおかげで、日に日に自己主張できるようになっていきました。

祖父と祖母の家に住んで4年弱。久しぶりに母に合うと「あのおばあちゃんに言い返せるなんて、あんたは本当に強い」と言われるまでになっていました。

※言い返すというより、率直に思ったことを一言だけさらりと、口に出していただけなんですけどね。

また、私は中学生からアイドルの追っかけをするようになり、全国各地に同じ趣味の友達を作るまでになりました。

一人で飛行機や新幹線に乗ったり、ホテルをとったりと、全国飛び回るまでに行動力がつきました。

毎日が楽しくて、楽しくてという状態になりました。

しかし、学校生活だけは楽しくはありませんでした。

勉強も運動も苦手で、グループ行動も相変わらず苦手でした。


高校生の時です。体育の授業になると、リーダー数名が運動神経のいい人順に選んでいくというスタンスでした。運動神経が悪かった私は、いつも最後まで選ばれずに私は毎回1人、残りました。

私は傷ついてないふりをするのも、平気な振りをするのもどんどんうまくなりました。

先生は「修学旅行で、誰が一番スキーが下手だった?」とクラスのみんなに聞くと、全員でみんなが振り返って私の顔を見ました。

修学旅行のスキーでは、誰にもついていけなくてずっと一人ぼっちで滑りました。

本当は、みんなと楽しくしたかったのですが、いつも平気な振りをしていました。

また私は校則や規則に厳しい先生に対して、「なんで、言うこと聞かなきゃいけないんだろう」「早く大人になりたい」「誰からも指図されたくない」と思っていました

とにかく自由になりたいという思いが強い学生時代でした。

100万持って、彼氏を追っかける

当時付き合っていた彼氏が関西に就職が決まりました。


私は、父に彼氏に付いていってもいいかを尋ねました。100万円貯めたら、行っていいと許してもらえたので、100万円貯めて関西に引っ越しました。

彼氏と同棲生活が始まったのですが、相変わらずアイドルの追っかけを続けていた私は数週間、家を空けることがよくありました。

お互いすれ違っていき、別れる事を決めました!

同棲中は彼氏に頼って生活してきたので、仕事をすることにしました。
というか、多分アルバイトで働いていたと思うけど、全国飛び回っていた記憶しかない(笑)


高校生の頃から、追っかけ代(コンサート代)を稼ぐのに夏休みも、冬休みも、普段も常にバイトしていました。



引っ越し代をとっとと稼いで、引っ越そうと決意!!

夜の世界へ。

私は、それまで与えられた仕事だけをこなす、という働き方のスタイルでした。

しかし、キャバクラで働いた4年間で「うまくいっている人の真似をする」ということを覚えました。

働き始めた理由ですが、引っ越し代を稼ぐために、短期間でまとまったお金が得れるというなんとも単純な理由で、20歳で夜の世界に行きました(笑)

「いくら稼ぎたいの?」と聞かれて「10万くらいですかね?」と答えていたくらい本当によく分かってなかったです。

そんな田舎感丸出しの私でした。

当時の私はみんなと違って

 

  • 特に何も考えず、自分が楽しいと思う日常会話をシェア
  • 相手のことはこちらから聞かない

という感じでした。

考えてそうしたわけではなくて、本当に何も考えていませんでした笑

つまり、アホだったからです笑

ですがこれが「今どきの子って苦手だから、君みたいなコがいて安心したよ」とか「嫌々上司に連れてこられたんだけど、楽しかった」とか、「他の子みたいに、ガンガンよいしょしたりしないんだね」と入店初日から指名をもらいはじめ、ほとんど指名のお客さんになり、フリーの席は座らなくてよくなっていきました。

私は話をして喜んでもらうのが楽しくて、笑ってもらうことが楽しくなりました。

初の給料は、40万円でした。
そして、小さなマンションの一室に引っ越しもしました。

また私を指名してくれる紳士的なお客さんは、「お酒も苦手なら飲まなくていいよ」と言ってくれる方が多かったです。

私はたくさんの人と関わらなくてよくなり、自分のことをいいと思ってくれる人とだけ、時間を共有出来るようになりました

男性も周りに認められたいだけ

その頃は指名のお客さんが日替わりで来てくれたし、友達も出来て楽しくやっていたのですが・・・

在籍している女の子が急に減って、指名してくれるお客さんが来ていても、フリーの席を回るという事になるときは嫌なこともありました。

フリーで来るお客さんは、女の子に「君は、このお店だと(その人基準の外見の順位)何番目だね」とか「君、○○が惜しいね(体の一部など)」とか「君、タイプじゃない」とかスバズバ言う方もいました。

更衣室で泣いている女の子も見たりしたし、どんどんストレスで太っていく子とかもいました。

私は、高校3年間、口の悪いおばあちゃんに鍛えられたので、けなされてもスルーするのがうまくなっていました

というか、傷ついてないフリをするのがうまかっただけ。

毎日毎日接客して来て分かったことがあります。

男性も女性と大して変わらないということです。

女も男も関係なく、ただただ認められたい人が多いんだなと思いました。

私は、みんながホメるであろうことも、自分がいいと思わないと口に出さない性格でした。

当時から今も変わっていません。

お世辞が大嫌いなんです。

思ってもないことを口には出せない笑

だから恐らくヨイショされに来たお客さんから「女の子たちは皆このネクタイを褒めてくれたよ(ブランドもの)」とか、褒めてほしいのかな?と思うことも「そうなんですね」と聞き流していました笑

悪気があったわけではなくて、思わないことは口に出さないだけです。

これは今も同じで「さきさんは、すごいと思ったときにしか口に出さないから、本当にそうなんだ、そう思っているんだって、信頼出来ます」と言われたことがあったのですが、

当時からそのスタンスは同じでした。

思ってもないことを言って、ヨイショするとか大嫌いなんですよね。

だから、「お酒飲めよ」と上から目線でフリーのお客さんに言われたときは、「お酒飲めないんですよね」と思ったことをさらりと口に出し、「はぁ!?」ってなったことがありました。

お酒が多少強くなったような時期もあったのですが、基本チューハイ1杯も飲まなくても、動悸がしていました。

それが私にはすごく恥ずかしくて、人には話せませんでした。

当時の私は、「恥」という概念をなかなか手放せませんでした。

とにかく恥をかくのが怖かったです。

眩暈がして、目の前が昔のテレビの白黒画面みたいになり、意識が遠のきそうになったこともありました。

それでも、そうなったときでさえ、そのことを誰にも言えませんでした笑

私の身体はアルコールをあまり受け付けないんだと思いました。

そして、「飲めない」と言ったのも、相手を受け入れなかったとかそういう意味ではありません。

悪気なく思ったことを口に出しただけだったから怒り出したことに、めっちゃびっくりしました。

相手の人は拒絶されたと思い込んだか、私が従わなかったことに腹を立てたんでしょうね。

私は、少しずつ自分の思いを、人に伝えれるようになっていきました。

ただそんな感じで、ちょいちょい言葉足らずで、人をよく勘違いもさせていました。

今思えば、「こう言ったら、相手はこう受け取るかも?」とか、配慮が足らなかったんですね。

一見当時の私のメンタルは安定しているように見えますが、見えるだけです笑

心はまだブレブレなままでした。

携帯を投げ出し、大泣きする

数年働くようになって、毎日毎日週5,6で働いていたのですがあるとき、女の子の在籍が少なくて「休んだらダメ」と言われるようになり、「嫌だ!絶対休む!」と言い張っていたのですが、激務になっていきました・・・。

※今だったら、無視して休むな。従い癖がつきすぎていたんだと思う

肺炎にかかり、私は布団の中で、携帯を投げてワンワン大泣きしました笑
時間のゆとりが減り、心の余裕もなくなっていました。

そんな時、本当にいつも紳士なお客さんが「連絡はしなくていいからね。」と言ってくれました。

一言に私は本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

また、同じお店で働く女友達から「しんどかったら、何でも買っていくから言ってや」とメールがあり、心が落ち着きました。

私はいつも人に支えられて生きてきました。

自分と違うタイプの友人

当時の私はいつも色んなお店の女の子に憧れていました。
特に一番憧れていたのは常にお店で、ナンバーワンだった友人でした。
40~50人女の子が在籍しているお店でした。

別のお店に移動しも、その友人はナンバーワンでした。

なんでもそつなくこなすんです。
手先が器用で、料理も出来て、何をやっても上手で、テキパキしていて、カッコイイ女性。

見た目もクールビューティーという感じです。

あんな風になれたらいいのにと当時、思っていました。


それを友人に伝えると「私だってさきちゃんはのんびりしていて、いいなぁと思っていた。同じことを思っていたよ」と話してくれてびっくりしました。

私は周りの友人だけに、どんどん本音を話すようになっていました。

友達が教えてくれる、自分の長所も知るようになりました。

※本音を話さないと、他人も本音を話してはくれない

ランキング1位

私は辞めるまでの1年間、お店でランキング1位をキープし続けました。

仕事に対してはめっちゃ真面目に取り組み、お客さんにマメに連絡をして、働きまくり、ほぼ毎日のように来てくれる方もいてくれたおかげで、ランキング1位をキープし、給料もうんともらえるようになりました。

それは、ずっとお店でナンバーワンだった友人を近くでみてきたおかげです。

友達は本当にマメで、毎日電話やメールをお客さんにしていました。

気配りもピカイチでした。

それを近くで見てきたからです。


ちなみに、1位になれたのは、友達がお店を去った後の話しです笑

やっぱり、一緒に過ごす人って自分に影響を与えてくれますね。

そんな感じで仕事は順調だったのですが、恋愛はことごとくうまくいきませんでした。

当時の彼氏と、よく喧嘩もしてました。

そして、私は当時とても「浮気をされるんじゃないか」って心配でいっぱいでした。

相手が誰だとしても信用できなかったです。

心が安心する日はありませんでした。

また、夜働いていて給料を十分もらっていたのに、散財が半端なかったです。

引っ越しもよくしていたのですがモノは減らず増える一方、思考もごちゃごちゃしていました。

勤務中や、フィットネスクラブで集中して身体を動かしている時は、心は穏やかでした。

しかし、恋愛のことを考え出すと、不安になり頭の中のお喋りが止まることはありませんでした・・・

これは夜の仕事を辞めた後に気づいたのですが、「私は夜一人になることが怖くて、夜の時間帯に働いていました

だから、夜の仕事を辞めた後は、女友達に泊まりに来てもらっていたくらいでした。

自分のキライな部分も愛すると誓った日

何年たっても同じように恋愛の事で悩んでいました。
ずっとそう思っていました。

が、違ったんです。

自分を愛せなくて悩んでいたという事にようやく気が付きました。

「私はいつも誰かに愛されようとしていたけど、そもそも自分が自分を愛してないのでは?」と自分に問いかけました。

すると「私が自分のことを好きなのは、いくつかあるけど、自分の嫌いな面もいくつもあった」ということに気が付きました。

つまり、無条件で自分を受け入れてなかったという事です。

私が私を愛さなくて、どうするんだろう、じゃあ私は自分の嫌いと思っていた部分も、全部ひっくるめて自分の事大事にする!!って決断した日でした。

その日から少しずつ、私の行動が変わっていきました。

結婚=幸せではなかった・・・

大好きな人に片思いし、1年フラれまくって、ようやく恋が実りました。

それまではもう本当に、めちゃくちゃ大変でしたが、その後はとんとん拍子で結婚が決まりました。

結婚したら、安心出来て、不安が消えると思っていたのですが、不安は解消されませんでした。

むしろ、変わらず夫に対して、心から信用できず浮気されるんじゃないかと不安でした。

常に心は不安な状態でした。

主人はまっすぐ家に帰ってくる人でしたが、現状ががどうかは問題ではありませんでした。

主人はストレートに「愛しているよ」と伝えてくれる人でしたが、いつか私を裏切るにい違いないと、信用していませんでした。

また、結婚してからコールセンターで働きだしたのですが、よくお客さんから怒られ、上司から怒られ、負のスパイラルに入りました。

主人に対しても、イライラすることが多々ありました。

私、自分の事愛せたと思っていたのに、どういうことなの?ってなりました。

そう、以前に比べたら自分を大事に出来るようになってきたというだけで、
まだありのままの自分を愛せてはいなかったんです。

以前よりはマシになったというレベルくらいのものだったんです。


私は元々がかなりヤバい状態の人だったので、少しステップアップしただけの状態だったのにもう軸がブレていないと、勘違いしていました

だから、いつも同じように葛藤を起こして、同じように悩んでいました。

徹底的に実験する

私は、ミランダカーが大好きになってからミランダの考えを真似していきました。

実践できそうなことを自分なりに考え、片っ端から実験していきました。

変わろうと思って努力したというより、変わるかもとワクワクして取り組みました。

すると、3ヶ月も経たないくらいで人生が劇的に変化しました。

 

  • 仕事でミスをしなくなくなった
  • 上司に怒られなくなった
  • 毎日関わっていた、苦手だった上司2人と、関わることすらなくなった
  • 苦手な同僚と関わることがなくなった
  • お客さんから怒られなくなり、むしろ感謝されることが増えた
  • 給料が一気に上がった
  • 航空券往復ペア、ラグジュアリーホテル3泊4日付きのマウイ島の無料モニター当選
  • 大なり小なり、思ったことが叶うスピードが早くなった
  • 特別なことがなくても、満たされていると思えるようになった
  • 他人の言葉や態度に引っ張られなくなった
  • 浮気の心配をすることがなくなった

そんな感じで、もうびっくりするほど変化して、その時期は意識がふわふわしていました笑

ここまで短期間で変化したのは、心の仕組みを知るのが楽しかったから。

楽しくて楽しくて、変化していく思考や行動にワクワクしていました。

これが私の人生が変わった2回目のターニングポイントです。
1回目のターニングポイントは、主人と付き合う前、フラれた時です。

夫婦仲が改善した理由とは?

私はこの期間から、他人が気にならなくなり、自分のことだけに集中していきました

自分の思考を変えることに、取り組んでいたので、他人のことを考えている時間はありませんでした。

主人の事も考えていませんでした。

初めて自分の事にフォーカスしまくったんです。

過去はあの人がどうとか、この人がどうとか意識が他人にありました。

つまりは、私は他人軸で生きていました。

しかし、自分に集中できるようになりました。

自分とのパートナーシップを改善した結果、夫婦仲が改善しました。

夫婦仲も今まで以上によくなり、信頼と愛情だけに変わりました。

私は人生が好転した後、本格的にもっと心理学が知りたいってなって、主人も誘ってますます心理学にどっぷりハマっていきました笑

私が心理学にハマったキッカケ

人生が変わった後、初対面のネイリストさんに「さきさん、多分好きだと思う」と絵本を渡されました。


本をキッカケに、「私が無意識を変えてきたのは、今までやってきたのは、こういう事だったのか!」と私の人生が変わった謎が解けたので、ワクワクしました。

そして私は、心理学やイメージトレーニングの面白さにどんどんハマりました

夫婦で心やイメトレについて話すこともどんどん増えていきました。

唯一無二の存在

私は自分のことを愛せてなかったと気づいた日から、日々アメブロでブログを書き続けました。

「さきちゃんのブログ面白い」「癒された」と友達や、読者さんから言ってもらえるようになり、仕事に出来たらいいのにと考えるようになりました。


当時はコールセンターで4年ほど働いていました。

職場で色んな人から、「こういうとき、さきちゃんはどうしているの?」「イライラを引きずらない方法ってあるの?」とか、男女問わず心のことを聞かれるのが日常的になっていきました

しかし、自分にはスキルもないし、無理かもしれないと思っていました。


ですが、読者さんの一人が起業したのを目の当たりにして、私も出来るかも?って始めることにしました。

それまでは長年、自分は雇われるしか出来ないと思っていたのですが、それはただの恐れと思い込みでした。

心が豊かになるだけ

心の中が豊かになると、世界がキラキラと輝いて見えるようになりました。

私が外に発信するようになったのは、幸せとは自分の心の状態だと知ったからです。

心が豊かになると、世界が輝いて見えるって知ってしまったからです。

過去の私は、無意識でしたが悲劇のヒロインで、被害者意識がハンパなかったです。

だからこそ、他人がココロの葛藤を隠そうとしていても、分かるようになりました

自分自身「私って可哀そう」と自分を憐れむことが、また苦しい未来を創っていました

人生は、自分次第で肯定的に創れる!!

この世の中は、99.9%心の投影なんだと身を持って知りました。

これを伝えないなんて、知らないと人生もったいない!と思ったから、シェアし続けています。

また、誰かに認められたかったという自分自身を認め、自分を無条件で愛したことで、心が軽やかになったからです。

今まで私は外に幸せを追い求めてきたけど、
幸せとは既にあるものだったんだと気づいたからです。

過去は○○がないと不幸せと思っていた私でしたが、幸せに条件はありませんでした

自分が自分を愛することで、この世の中の平和に繋がっていきます。

自分が自分を愛すると、例えば子を持つお母さんなら子供はお母さんを見て「自分を愛していいんだ」って知ります。

お母さんとお子さんが幸せならパパさんにも繋がります。

実際、私とは離れて暮らしているのに、私の家族も180度変化しました。

自分が幸せになるだけで、周りに繋がる

・長年仲が悪かった母とおばあちゃんの仲が良好になる
・長年口を聞いてなかった父がおばあちゃんに対して優しくなる
・愚痴ばっかり言っていたおばあちゃんが、感謝の言葉を口にするようになる
・妹と夫の夫婦仲が良くなる

・妹の子育てが180度変わり、子供たちがイキイキしている

自分が幸せになると、どんどん周りに影響を与えます。

一人一人が愛で満たされていると平和しかありません。

幸せというのは伝染します、あなたにも。

私もこれからも日々前進して、常に変化し続けます。

これからも愛を込めて記事を書いていきます。
私の葛藤だらけだった人生が、あなたの背中を押すキッカケになれたら嬉しく思います。

長いのに、最後まで読んでくれてありがとうございました。

 
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